このすべて懸けて この声で伝えるよ

ヅカにもはまってしまったジャニヲタの独り言

あたしの幸せ


1月になってからいろいろあって、それで自分がいろいろ考えたことをグダグダと。
この機会に、あたし自身の考え方をここに書き留めておくのもいいかな、と思いまして。
「エイトは絶対に8人じゃなきゃダメなんだから!」って考えの人は見ない方がお互いのためだと思います。
こんな考え方の人もいるんだなーくらいでさらっと流していただけると嬉しいです。

































まず、あたしの幸せの基準は、
『大倉さんの姿を見たり聞いたりできること』 です。
そこに誰が一緒であろうと、どんなお仕事であろうと、大倉さんがお仕事をしている姿を見ることができれば、それでいい。
そして、大倉さんがいろんなお仕事を経験して、いろんなことを吸収して、少しずつでも成長していって、っていう姿が見られればそれであたしは幸せです。
あたしが大倉さんに抱く感情は恋愛のような感情ではなくて、最近は保護者的な感情になってきたのかなと思います。
Kin/Ki/Kidsの愛の/かたまりに、『変わっていく あなたの姿 どんな形よりも愛しい この冬も越えて もっと素敵になってね』って歌詞があるけど、この歌詞にとても共感できます。
あたしはこんな考え方なんです。
少しずつ素敵になっていく大倉さんのことをずっと応援していたいんです。


だから、正直なところ、エイトが7人だろうと8人だろうと、あたしはどっちでもいいんです。
エイトが7人だろうと8人だろうと、大倉さんがそこにいてくれればそれでいい。
エイトを好きになったのがあの事件の1〜2ヶ月前で、8人のエイトをしっかりとリアルタイムでは見たことがないからそういう風に言えるんだ!と言われてしまえば反論はできませんけど。
あたしもあの事件のあと、「エイトは8人じゃなきゃダメ!」って思ってた時期がありました。
でも、自分の幸せの基準について考えてみたら、周りがどうこうじゃなくて大倉さんがどうなのか、っていうのがあたしの基準なんだから人数に振り回される必要なんてないじゃん、と思うようになりました。
だから、あたしがここであの子について書く機会がほとんどなくなったんです。
そして、『eighter』と名乗ることをいつしかやめました。


でもひとつ気になったこと。
あの事件の直後から、大倉さんがレンジャーに書いていた「8→1」という3文字。
この3文字が8人のエイトを望む人にとっては大きな希望となってうちわに書かれたりブログに書かれたりしてきました。
大倉さんがどういう意図でこの3文字を書き始めたのかはわからないけど、大倉さんの思ってた以上にこの言葉が浸透したんだろうなと思います。
大倉さんって、実はファンの想いを察知できる人だから、ファンがどういう想いでこの3文字を使っているかはわかっていたはず。
だから、2009年からこの3文字をどういう考えで書かなくなったのかはわからないけど、書かないことでファンがどう思うかは大倉さんはわかってるはず。
何かしら新しい展開があるのかな、とは思うけど、でも、書かなくなったことで大倉さんが批判されてるのは悲しい。
あの3文字にどんどん意味をつけて依存してきたのはファンの勝手だから。
勝手に依存して勝手に責めるのはちょっと大倉さんがかわいそうじゃないのかな、と思ってしまうのはあたしが大倉担だからでしょうか・・・。


年明けすぐのすばるさんの行動や発言もいろいろ言われてるけど、それについても特に特別な感情は抱きません。
すばるさんにだって、いろんな考えややりたいことがあるんだろうから。
でも、すばるさんのやりたいことを応援することはしないです。
それはただ単に、すばるさんの目指しているだろうスタイルはあたしは好きではないから。
人にはそれぞれ好きなことがあるから、否定するつもりはないけど肯定するつもりもないです。
大倉さんやエイトに何かマイナスな影響が出なければいいな・・・、と思うくらいです。


ここまで読んでくださった方がもしいれば、ありがとうございました。
相変わらず、グダグダと読みにくい文章ですみません・・・。
「冷たい」って思われる方もいるかもしれませんが、これがあたしの正直な気持ちです。